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「七帝柔道記」(角川書店)への思いを語る
(「週刊読書人」) 

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これは、夭折した
登場人物たちへの鎮魂歌です。
最新作「七帝柔道記」を語る。

(「週刊読書人」インタビュー記事)

女性読者にも伝わったことが嬉しい

——前作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(以下、『木村政彦』と略)の話からおうかがいします。大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞したこともさることながら、多くの読者に増田さんの著わした超骨太の世界が受け入れられたことに対しては、現在どのように感じられていますか。

増田俊也 すごく嬉しいです。あの時点では無名な柔道家の評伝であり、著者である僕も無名の新人。二七三〇円という値段の高さと七百頁もの分厚さ。さらに二段組ですからね。五つのハードルをクリアして多くの方が読んでくださった。それ自体、奇跡的なことだったと思います。新潮ドキュメント賞の選考委員の櫻井よしこさんや恩田陸さんが高い評価をしてくださいましたが、柔道や格闘技にまったく興味のない多くの女性読者から「面白かった」と言われたのが嬉しかったですね。今度の『七帝柔道記』も、さまざまな社の女性編集者たちから「感動した」というメールや電話を頂くんです。一見すると二作とも男の世界を描いているので、女性には敬遠されそうなんですけれども、文学の原点である「人間を描き切る」作品を書けば、男女関係なく受け入れてくださるんだなと思いました。もちろん、二作とも女性との愛がほんのり登場しているんですけれども。
 

——前作はノンフィクション作品でした。『七帝柔道記』も増田さんの人生を踏まえた自伝的小説ではありますが、小説として、フィクションとして書かれています。ノンフィクションとフィクション、執筆の上で何か違いを感じられましたか。

 

増田俊也 僕は元々「このミステリーがすごい!」大賞でデビューしていますから、自分は小説家だと思っています。僕はとにかく読者のことを第一に考えます。それはフィクションでもノンフィクションでも同じです。木村先生の本も、読みやすく、わかりやすいものにすることを心掛けました。あの本には実は学術論文並みの難解な情報がびっしりと大量に詰まっているんですね。柔道の詳細な歴史だけじゃなくて、戦争や移民史、マスコミ史など昭和の歴史がびっしり入っている。でも、読者に難解だと感じさせたら頁をめくる手が止まってしまう。だから、そういった情報を織り込みながら、でも読者に難解だと思わせないように物語を紡ぐことを心掛けました。読者に少しでも頁を止めさせたら、作家とはいえないと思っていますから。もうひとつは空気感ですね。読者もその場にいるかのように感じさせる空気感です。

命をかけて読者に伝えたいことがある

——『七帝柔道記』と『木村政彦』の二作を並べてみると、「双子の作品」のように読むこともできます。時代も違いますし、内容も評伝と青春小説であり異なっている。しかし増田さんという作家が、どうしても書かなければならなかった、絶対に避けては通れない作品だった。その意味では共通するものを持っているように思います。
 

増田俊也 僕は命をかけて伝えたい作品を生きているうちに残したいと思っています。最近ですと伊藤計劃さんや殊能将之さんが若くして亡くなっています。彼らの無念を思うと……僕は涙が出てきてしかたない……。ですから、僕はいつ死んでも後悔しないよう、書くべき作品を先に書いていこうと思っています。デビューして七年経ってるんですけど、三冊しか本としてはまとまっていませんから、他の作家さんたちが活躍する姿を見て焦りはありますけれど、やっぱり自分の信じた世界、自分にしか書けないことを書いていきたいと思うんです。『木村政彦』だって本にしようとした時に、「こんなマイナーな話は商品にならない」と、いろんなところから言われたんですね。『七帝柔道記』にしても同じです。もっとマイナーな北海道大学の中の柔道部だけの話ですからね。有名人なんてひとりも登場しない。ずば抜けたヒーローが活躍するわけでもない。でも、なんでもない普通の人を香り立たせる、そこに存在させるのが作家の仕事だと僕は思うんですね。今度の小説には架空の人物もたくさん出てきますが、架空の人物でも隣にいるような感覚を、読んだ人に持ってもらう。そういう小説をこれからも出していきたいと僕は思います。
 


夭折した者たちへの鎮魂歌

——『七帝柔道記』を書かれるまでには、おそらく長い年月が必要だったのではないかと想像します。つまり北大柔道部で過ごされた濃密な体験を元にして描かれているわけですが、濃密だからこそ、それを物語に昇華させるまでには相当の時間を要された。実際に小説にしようと思われたのはいつ頃ですか。
 

増田俊也 二十年以上前のことです。柔道部の後輩が夭折……自ら命を絶ったんです……。その時のショックが、僕にとってはものすごく大きかった。後輩のライバルだった、九大柔道部のキャプテンもほぼ同じ時期に病気で亡くなっている。まだ二二歳と二四歳でした。後輩が亡くなった時、あまりのショックで柔道部の先輩に泣きながら電話を掛けたんです。そうしたらその先輩も泣きじゃくりながら取り乱していて、「どうしたらいいかわからん……」と言って絶句して、すぐに電話を切られてしまったんです。何度電話しても受話器の向こうで泣いていて電話を切ってしまう。その先輩も『七帝柔道記』に登場しますが、亡くなった後輩がその先輩に憧れていて「こんな男になりたい」と、死ぬまでその先輩の写真を肌身離さず持っていた。その先輩は後輩の死から立ち直るのに数年かかった。僕も同じです。別の人間は精神科医を志したり、みんなが迷走し、そしてその辛さを昇華するために前へ前へと疾走した。それぐらい僕らみんなの人生に大きな影響を与えた。あの頃に書きためた膨大なノートがあって、いろいろな出来事や自分の思いが記してあって、それが小説の元になっています。だからこの小説は、その後輩への鎮魂歌のつもりで書きました。それからそのライバルでやはり夭折した九大のキャプテンへの鎮魂歌として書きました。

 

——『七帝柔道記』の背景に、そんなに辛い出来事があったのですか。「鎮魂歌」と言われましたが、ひとりひとりの人物に作り物ではないリアルさがあり、それに加えて、登場人物に対する視線がやさしくて、増田さんの愛情を強く感じました。愛おしく大切に書いていることが読むものに伝わってきます。

増田俊也 夭折した後輩の家に焼香にいった時に、親や妹弟が聞いてくるんですよね。「うちの息子は、どんなふうにみんなと過ごしていたんですか」「おにいちゃんはどんな人だったんですか」って。北海道での大学生活は僕たちしか知らないでしょう。そこで僕は知っていることを話しました。ご家族の気持ちを考えると、僕ら以上に辛い。でも家族はどんな小さなエピソードでも大切に大切に懸命に聞く。ほんとうに辛いと思う……。『七帝柔道記』の準主役として竜澤宏昌という僕の同期の柔道部員が出てきますが、実在の人物をモデルにしています。彼がもし、と考えながら書いた。二四歳とか二五歳の時、もし彼が夭折して僕の前からいなくなっていたとしたら、その後の自分ってどうなっていたんだろうなと、そんなことを考えながら、この小説を書きました。もし竜澤が亡くなっていたとしたら、きっとお父さんやお母さんが僕に聞いてくるだろう。「息子は北海道でどんな生活を送っていたんですか」と。もちろん実在の彼は元気に生きていますが、柔道部でこんな生活を送っていた、こんな男だったって、彼のご両親にいま話すように泣きながら書きました。他にも登場人物のモデルのなかには柔道部員以外にもたくさん夭折した人物が出てきます。何人死んだかわからないくらい死んでます。だから書いてる間、僕はずっと泣いていました。
 



普通のサラリーマンや女性にこそ読んでほしい

——竜澤さんは、入部当時は少し子どもっぽさを残した、わがままな少年として描かれているんですが、物語の最後には見事に成長して、立派な青年となる。人間の変化・成長が描かれているのも、この小説の大きな読みどころのひとつだと感じました。
 

増田俊也 実際に僕自身もそうでしたからね。大学に入学したての頃は、どちらかというと、引っ込み思案で文学少年のところがあった。でも一年経つと、やくざに風呂で背中を流させたり(笑)。あのシーンも本当の話なんです。怪我で病院に入院した時、若いやくざとベッドが隣り合わせになった。その彼と最初は仲が悪かったんですが、そのうち僕になついてきて、外に買い物にいく時も、わざわざキャデラックを運転して連れていってくれた。竜澤にしてもライオンのような迫力を持つ堂々たる青年になって、その病院の看護婦たちに好意を寄せられたり、本当に格好いい男に成長した。みんな一年間で様変わりするんですよ。社会経済学者の松原隆一郎先生が東大の柔道部長をやっているんですけれど、よく言われることがあるんです。「身近にいて一番面白いのは、学生たちが変わっていくところだ」って。僕や竜澤だけじゃなくて、一年いれば誰もが変わることができる。二年たったらもっと成長する。三年たつとさらに成長する。極限の練習をやる七帝柔道って、そんな場所なんです。だから、ここに東大柔道部員を三十人連れて来られたら、一年生から四年生まで、僕はすぐに見分けることができますよ。彼らのことを一切知らなくても、顔つきと姿格好を見ればすぐにわかる。それは東北大学だろうが京大だろうが同じです。七帝大の柔道部で過ごせば、一年一年どんどん変わっていく。この小説は、もちろん表面的には柔道の話であるし、タイトルにもそうついているから、格闘技の話だと思う人がいるかもしれませんけれども、実際は違うんですよね。だから女性が読んでも「面白い」「感動した」って言ってくれる。人間が生きている意味そのものを描いた小説です。だから読めば誰でも共感できると思います。今回たくさんのメディアからインタビューを受けましたが、登場人物の中で誰が一番好きだったかと聞くと、みんな違う。読んだ人それぞれが、誰かに自分を投影しながら読んでくれている。ネット上の感想を見ていて、「これはすべての母親に、息子を育てる上での教科書として読んでもらいたい」という感想があったけれど、僕もそう思った。それから柔道部という組織を描くことによって、組織人への賛歌にもなっている。さらに何人かの主将を描くことによって経営哲学的な内容にもなっている。だからサラリーマンにも読んでほしいですね。
 

 

過酷なシーンこそ「この本の命」と言われて

——具体的な内容に少し踏み込んでうかがいたいのですが、試合のシーンはもとより、練習のシーンに多くの頁が割かれています。まさに凄まじい猛稽古であり、失神、失禁、出血、骨折、ここまで激しい練習シーンを克明に描いた小説はこれまでなかったのではないか。表紙をめくった最初の頁に掲げられた言葉、七帝柔道体験者である井上靖さんのエッセイ『青春放浪』から引かれた一節「私たちは練習量がすべてを決定する柔道を作り出そうとしていたのである」を、まさに実践されている。
 

増田俊也 それは……辛かったですよ。結局、旧帝大に入ってくるような学生は勉強中心にやってきた子どもたちなわけですね。そういう中で勘違いして生きてきた部分もあって、入部して突然逃げ場のない「腕力」の世界の現実を突きつけられる。そんな子たちが五輪選手なみの練習、それをも凌駕せんとする過酷な練習をやる。受験勉強どころの騒ぎではない。出稽古の部分も含めて、凄惨なシーンが随分出てきますよね。ちょうど本が出る前に、柔道界にいろいろな問題が起こって、あの部分は削ろうかとも思ったんです。でも編集者に「この部分こそ、この本の命です」とアドバイスされて、残すことにしました。改めて考えてみると、ある意味で戦争小説に近いとも思うんですよ。井上靖さんもエッセイで書かれていましたけれども、柔道部での体験は戦争より辛かったと。
 


強制ではなく自分で自分を律してみる場所

——戦争の場合、強制的に徴兵されるわけですが、柔道部は入るのもやめるのも自由であり、それにも関わらず自分の意志だけでつづける。そこがなぜなのかっていうことが、この小説のもうひとつの読みどころになっていますよね。
 

増田俊也 はい。でも本当にきつかった(苦笑)。北大柔道部に憧れて入部したくせに、入部してすぐに後悔しましたから。でも、そこでやめたら自分に負けたことになる。この前、エッセイストの酒井順子さんが『七帝柔道記』について、「彼らは想像を絶する地獄のような練習をしているからこそ結束が固く、誇り高い」みたいな書き方をしてくれたんですが、嬉しかったですね。今でも試合場にいって四年生を見ていると、彼らの凛々しさ、魅力は稀有のものです。普通の社会生活を送っているとあんな顔に出会わない。僕ら現役を引退したOBにも、もう無い魅力です。こういう顔つきってなんだろうなと思っていたら、最近偶然見たんです。東日本大震災のとき、名古屋方面からも東北に、自衛隊が支援に行くわけですね。たまたま交叉点に自衛隊のトラックが止まっているのを見かけたんですが、そこに乗っている二十代の若者たちの横顔の凜々しさ。あの顔を見た時に、そっくりだと思いました。彼らは人のために身を捧げている。ものすごい使命感ですよね。トラックに乗っていく青年たちの横顔を見た時には涙が出ました。嫌な顔ひとつせずまっすぐ前を向いて、被災地に赴く。人のために人間が何かをやる時の横顔って、本当に素晴らしい。七帝柔道も十五人という多人数の団体戦で、一人ひとりの選手が他の選手のために身を捨てて頑張る。命をかけて頑張る。だから『七帝柔道記』は、ある意味で、従軍記といっていいと思っているんです。戦記そのものであり、タイトルはカエサルの『ガリア戦記』から取ったんですが、そういう面があると思いますね。
 


あの時代に素晴らしい経験をできたと思います

——年に一度の七帝戦がまさに戦場なわけですよね。増田さんご自身がモデルになっている「増田少年」も、試合前に先輩から「おまえ、俺たちのために死ねるか」と問われる。一般世界なら考えられないような言葉を、増田さんもそのまま真剣に受け取る。あれは比喩じゃなくて、失神しようが腕が折れようが、「参った」は決してできない。生きるか死ぬかの戦いの場であった。

増田俊也 誇張じゃないんです。でも、ああいう世界で四年間を過ごしたことは、素晴らしい経験になったと思います。白帯からはじめて主将になった人もいますが、主将になって何十人もの部員を率いていくなんて、社会に出る前に、とんでもなく貴重な経験です。旭山動物園の元園長だった小菅正夫さんが、北大柔道部の先輩なんですけれども、「旭山動物園の奇跡は、北大柔道部で学んだことから起きた」と言っています。小菅さんの時もものすごい練習だったらしいですよ。一回決めたことは絶対やる。そして七帝戦の決勝までいった。超弩級の選手がいないながらも、「負けなければいつか勝てる」といって、決勝まで全部引き分けで進んだ。やれるだけのことは全部やった結果です。それは旭山動物園の改革そのものですよ。だから先ほど『七帝柔道記』はサラリーマン賛歌の小説でもあり、経営者の経済小説でもあると僕は言いましたでしょう。主将として一年間引っぱっていきながら改革をしていく。正力松太郎さん(元読売新聞社主)や永野重雄さん(元新日鐵社長)ら錚々たる人たちが七帝柔道出身です。そうした昭和の政財界を代表するような人たちが、部下の心をひとつにまとめる予行練習を、大学の時にしていたと思うんですね。主将以外の部員もそうです。すべてが後の人生に生きてくる。フィジカルに恵まれない人間たちが、極限まで自分を試してみるひとつの場所。しかもいつやめてもいい。そういう場所が北大柔道部であり、七帝柔道という世界だった。
 

——本当の意味で「学びの場」という感じがしますね。学生は授業料を払い、大学は単位を与える。そういうシステマティックな場では絶対に育たないものが、あの場所で育まれる。そして北海道という舞台がまた絶妙なロケーションなんですよね。深い雪に閉じ込められた感じがあり、逃げ場がない。
 

増田俊也 道内の試合にいくのに車で八時間ですからね。東京にいくには、まず函館まで特急で五時間。そこから青函連絡船に乗る。帰りは上野発の夜行列車で、青森駅に降りる。まさに「津軽海峡冬景色」(笑)。
 



あのラストで僕はよかったと思う……

——先程練習風景の描写についておうかがいしたんですが、七帝戦の試合のシーンも実にリアルに再現されています。選手たちの一挙手一投足まで、その表情から心理描写も含めて詳細に描かれています。プロの棋士が自分の棋譜をすべて記憶しているような感じで覚えておられるのですか。
 

増田俊也 そういうところはありますね。それと試合に関してはビデオが残っているんです。一般の人には当時は珍しかったと思いますが、偵察用のためのビデオカメラを七大学それぞれが持っていて、七つのアングルから自分の試合が見られる。いろんなサイドから撮影されているから、若かりし日の自分を見ることができて、見ていると懐かしいですよ。辛かった頃の記憶も蘇ってきますが(笑)。
 

——前にお話をうかがった時には、高校生最後の試合のことも、昨日のことにように話されていました。
 

増田俊也 東海高校の選手に払い腰で投げられて一本取られた。インターハイにいって、早稲田の体育に推薦で入るつもりだったんですが、見事に計画は頓挫しました(笑)。でもあそこで勝っていたら小説家にはならなかったと思うし、そういう意味で負けてよかったと思います。
 

——小説のラストについて一点おうかがいします。地獄のような練習を経て、それぞれの思い、闘志を胸に秘め、東北の地に乗り込んでいく。ここは読者への楽しみに残しておきたいと思いますが、試合の展開としては、別の形もあり得たと思うのですが。
 

増田俊也 でもあのラストだからこそ、作品の完成度は高くなったと思いますね。そうでしょう? あそこで読者の思ったとおりにはならない。だからこそこの小説は生き生きとしていると思います。
 


今後も、生と死、赦し、男性と女性をモチーフに

——最後に、話は全く変わりますが、『木村政彦』を原作とした劇画がはじまりました(『KIMURA』—『週刊大衆』掲載)。冒頭から緊迫した場面で、この先毎週楽しみです。連載に対する思いと、小説の次回作の構想を合わせてお聞かせいただけますか。
 

増田俊也 僕の小説のモチーフは、生と死、赦しと救済です。それから男性と女性。これをモチーフにして、今後も作品を発表していきます。原稿のストックはたくさんありますから、順に本にしていきたいと思いますし、その原稿の分割連載も何誌かで決まっています。今後も作家として、物語には拘っていきたいですね。結局、人の心を動かすのは物語であり、個人ではないんですよね。岩釣兼生先生がガンで亡くなる直前、僕は泣きながら岩釣先生に言ったんですが、五十年、百年経った時、岩釣兼生の名前は古賀稔彦や吉田秀彦やヒクソン・グレーシーより有名になっていると。百年後も、「牛島辰熊—木村政彦—岩釣兼生」の三師弟の物語の中にその名前は刻み込まれて生き続ける。師匠・木村政彦のために復讐を成し遂げようとした人物として残る。ただ単に強い人がいたというのでは、人の記憶には長くは残らない。物語の中にいると永遠に後世まで残るんです。連載がはじまった木村政彦先生の劇画についてひと言いっておくと、初回に梶原一騎先生が既に登場している。昭和の活字・漫画文化を含めて、あらゆる文化と人物がリアルに劇中で描かれていくと思います。これは未完の梶原一騎先生の絶筆『男の星座』(原田久仁信作画)に捧げるものです。続編といっていい。だから原田久仁信先生じゃないと描けない。原田先生も「この連載に命をかける」と仰ってくれていますから、化け物のような連載になると思います。十年くらい続くでしょうし、三十巻くらいの超大作になるでしょう。楽しみにしていてください。
(「週刊読書人」掲載インタビュー) 



以下は角川書店さんが作ってくださった「七帝柔道記」PVです。

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