さよならスペンサーなんて言わない

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さよならスペンサーなんて言わない

増田俊也

 

 まずはここで私は多くの人に謝っておかなければならない。

 これまで三十年近くにわたり、意味のないところでスペンサーが作中で使ったセリフを真顔で言い、まわりを困惑させてきたからだ。

 もちろん言われた側は何を言われているのかさっぱりわからない。本気なのかジョークなのかを測りかねていた。私は心中で「スペンサーを読んでいない人間が悪いのだ」と手前勝手に思っていた。

 大学を中退する時、ある教授のところへ挨拶に行った。教授は心配し、何とか大学に残るようにしたらどうだと言った。

「増田君は呑気だが、大学を辞めて、この先いったい自分の可能性がどれくらいあると思ってるんだ」

「十まで測れる秤で、十」(『ユダの山羊』)

 教授は私をとんでもなく不遜な男だと思っただろう。

 何年か前、ホテルの予約を電話で入れた。フロントの女性は私の名前を聞いた後、「お電話番号をお聞きしてもよろしいでしょうか」と言った。

 私はもちろんこう答えた。

「電話帳に載ってるよ、<タフ>という見出しの項にな」(『初秋』)

 若い頃、野球経験者に酒場で喧嘩を売られたことがある。相手は私より大きく、運動神経に自信があるのだろう、盛んに啖呵をきってきた。私は柔道しかやったことがないくせに、ボクシングの構えをとり、静かにこう言った。

「俺はお前のようにボールを投げる事は出来ないが、お前が俺の体に触らないうちに、俺はお前を病院へ送り込む事が出来る」(『失投』)

 相手は少し驚いた顔をした後、われにかえったように謝った。今でも彼は私がボクシング経験者だと信じているのだろうか。

私のブレザーはもちろんブルックス・ブラザーズだ。

 日本では胸囲のインチ数で区分けした物が売られていなかったので44インチサイズをアメリカから直輸入した。スペンサーと同じサイズである。このサイズを着るために、私はベンチプレスの重量を加減して、常に胸囲を一定に整えておく必要がある。これ以上でもこれ以下でもいけない。

 付き合っていた彼女のことは「スーズ」と呼んだし、キヨスクで新聞棚を指さして「ボストングローブでも置いてくれ」と言い、マンションを引っ越すときには「窓からボストンに似た街並の見える物件を」と不動産屋に注文をつけた。車をぶつけて傷がついたりすると、スペンサーを真似てガムテープを貼って補修したりもした。

 私立探偵になるために、新聞記者を辞め警察官になろうとしたこともある。スペンサーが私立探偵になる前に検事補をしていたので、まずは警察官になり、しばらく勤めてから私立探偵に転向する方がリアルだと思ったのである。そして私は本当に受験した。

 景気が悪い頃で公務員人気が高く倍率は百倍近かったが、軽く筆記試験を突破した。あたりまえだ。他の受験生は十八歳なのに私は二十九歳だったのだから。しかしさすがに最終面接で落とされた。

 ロバート・B・パーカー急死のニュースを聞いた時、日本で最もショックを受けたのは私だと思う。しかし、思い直して感謝もした。スペンサーシリーズが進むうちに齢を重ね、その間に、ホークと呼べるだけの友も得たし、スーザンにも出会い、マーティン・クワークにもヘンリイ・シモリにも出会った。こうした人間関係の厚みが持てたのは、すべてこのシリーズとともにリアルタイムで人生を生きてこられたからだと思う。

 だが、ひとつだけ心残りがあった。

 スペンサーのお気に入りのセリフは、あらゆる場面でどこかで使ってきたが、一番気に入っていたあのセリフを使う場面がなかったのである。いつか口に出そうと思いながら、それができないでいた。その場面を作るには小道具が必要だったのである。中学生くらいの男の子という小道具が。

 パーカーが逝って一週間ほどたったある夜、私は中学一年の甥を誘ってショットバーに行った。

 薄暗いカウンターに二人で並んで座ると、すぐに私と同年代のバーテンがやってきた。

 私は言った。

「ビール。できればアムステル。なければバド以外」

だが、バーテンは黙ったまま横の甥を見て軽く顎で指した。未成年の入る店じゃないと言いたいのだ。

 私は言った。

「彼は小人なんだ」

 その瞬間、バーテンが口もとをゆるめてにやついた。ああ、知ってるんだなと思った。『初秋』でポール・ジャコミンをバーに連れていったとき、スペンサーが言った言葉だ。

 バーテンが言った。

「パーカーが亡くなりましたね」

「ああ・・・・・・」

 私は私立探偵になれず、作家となった。そして、いつのまにか若き日のマチズモの呪縛から解放されつつある自分に気づいている。

 ならばもう筋肉は捨てよう。スーザンが「あなたはその筋肉の鎧の中に自分を隠している」とスペンサーを評した、あの筋肉を捨てるのだ。

 筋肉を捨てて筆に持ち替え、スペンサーファンのために私の描くスペンサーを提供することが、パーカーへの最高の供養となるだろう。

 私は今回のこの一文を、あえて「パーカーへの追悼文」とはしない。追悼は作品をもってする。日本のスペンサーを私が生みだそう。だから、本当は泣きたいほど悲しいのだが、さよならスペンサーなんて言わない。

 

(『本の雑誌』2010年5月号)